「飽きる」ということ
お久しぶりです!のんです!
約半年ぶりの更新です、もうサボりまくりです
この半年間クラクラにも飽きておりました、半年間放置しまくっておりました
まあ、クラクラ熱が引いてからクラクラを開こうとも思わない日が続いていたんですが、最近ふと開いてマルチ行ってみるとめちゃ楽しかったっす
やっぱりクラクラというゲーム自体はとても面白いゲームなんだなぁと再確認しました
さて、そこで久しぶりのブログのテーマは「飽きる」事について考えていきまっしょい
とりわけ、ゲームに飽きるという現象について考えます
誰しも生きていく上で「飽きる」という事を経験すると思います。たとえその飽きる対象が素晴らしいシステムのゲームだとしても、です。
実際私も、クラクラは良いゲームだと思うのですが、クラクラから離れてしまいました
では、なぜ飽きが来てしまうのでしょうか?
ここでうちのクラメンがTwitterでこのように呟いております
ロッタ@Glitter@lotta210ふと、ゲームに飽きたと言う人はゲームに飽きたのではなく、成長しない自分に飽きたのだ
2018/01/12 18:02:18
というような文章を思い出した。
…つまりそういう事なのだろうなぁ
「ゲームに飽きたという人はゲームに飽きたのではなく、成長しない自分に飽きたのだ」
その一文はたしかに正しいと思います。しかし、正確には正しいとは言い切れない部分も存在します。
それに関しては、人はゲームに何を求めているかという事が重要なわけです
例えば、先の理由でゲームに飽きた人は、ゲームにおいて自分が成長する事により大きな楽しみを覚えていたのでしょう
しかしゲームの楽しみはそれだけでは無い訳で、強い編成で俺TUEEEEEE!するのが楽しい人もいれば、チャット機能で雑談しつつゆっくりゲームをする事に楽しみを覚える人もいます
ことゲームの楽しみというのは、人それぞれな訳で、一概には言えないという訳です
ここで先の一文をより広義的なものに書き換えると以下のようになります
「人はゲームを楽しもうとしても、以前のような楽しみを得る事が出来なくなると、ゲームに飽きるのだ」
長々と書いた上に結論が至極単純かつ当たり前の事ですが、やはりこれこそが飽きるメカニズムです
そう考えると、飽きるというのはある程度は仕方のない事象なのではないかと思います
どれだけそのゲームが良いものであったとしても、ゲーム環境の変化についていけなかったり、はたまたマンネリする事で以前のように楽しめなくなるというのは、まあある話です
よっぽどの理由がない限り、楽しくもないのにゲームなんてやらないでしょ
実際に私も、クラクラをやっていく上で色々上手くいかなくなったり、クランのサブリーダーという地位についてまわる責任に疲れてクラクラから逃げたのだろうなと思っています
飽きが来るのは仕方ないとして、飽きてしまったら一旦距離をとって余裕が出来てからもう一度再開するのも良い手かもしれません
だから今、私はクランにも所属せずに何の責任も負わないような状況でただただマルチを楽しんでおります
こういった責任から解放されてただ単純にクラクラというものに向き合ってみると、やっぱりどうしようもないほど楽しいんですよ、このゲーム
結局伝えたかったのは、飽きが来てしまうのは仕方ないけども、クラクラというもの自体はとても面白いゲームだよねって事です
ということで、私、これからものんびりとクラクラを楽しんでいきます
そんなこんなで今回はここまで!
ではでは~(・ω・)ノシ
p.s.
私の所属していたクラン「光風霽月」ですが、この度再集合しました!
前ほどにガチガチにはならずにまったりとやっていく予定(らしい)です!
ということで、これからもよろしくお願いします!